風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その19+365+347)

『偽りそのものが悪なのではない。それを行う場面を選ばない人間こそが悪だ』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 相変わらず野球による特待生は認めないみたい。…勝手にすれば?(挨拶@空気の読めない高野連


 日の出後、しばらくして雨は止んだ。以後、曇っていたものの、14時くらいには晴れ間が覗き始め、爽やかな天気となった。
 少し穿ったことを言うが、野球による特待生を認めないということは、つまり、金のない奴は野球をやるな、言っているに等しく、逆に言うならば、お金のある人だけが高校野球をやる資格がある、ということにもなる。
 高野連は常日頃、高校野球は青少年の健全な育成を目指すものであり、あくまで教育の一環であると主張している。しかし、それでいながら特待生を認めないということは、教育を受ける平等さに欠けるのではなかろうか?


 もちろん現実はそうではない。実際には野球による特待生はいくらでもいるし、高校野球はあくまで優劣を競う勝負事であり、同時にプロへの登竜門のひとつでもある。断じて遊びではないし、清廉潔白に正々堂々となどしていない。そういった事実を見ないで、偽善ばかり口にしていれば、その内に各方面から見放されるのは間違いなく、日本の野球のレベルも下がろうというものだ。