『所詮この世は弱肉強食。強ければ生き、弱ければ死ぬ』
※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。
志々雄さん、燃えすぎ。(挨拶)
朝からずっと雨。昨日と同じく気温も上がらず。しかし、上がらない、というよりは、変化に乏しい、というべきか。朝昼夜とあまり上下降していないと思われる。
弱肉強食というと、野生の獣たちの生存競争を思い浮かべる人が多い。しかし実際のところ人間も変わらない。どこの地域のどんな時代にも弱者から搾取して頂点に立とうとする者は存在する。
一見すると、そういった封建主義的なシステムからの脱却を目指し、民主主義というものがあるように思えるが、しかしもちろんそうではない。それは“数の暴力”という言葉に象徴されるように、“数”という強力な力に支えられた搾取者がいることに他ならない。これも弱肉強食に他ならない。
もちろん特定の人間が絶対的な立場にあるのではなく、多数が集まることによって、誰が奪い取る側の人間なのか、非情に分かりづらくなっているのである。だが分かりづらい、あるいは直接的に視えないからといって、そういう存在(たち)がいないなどということはない。必ず不当に利益を得ている人間がいるのである。
特定の団体のことを言っているのではなく、単にどんな組織内においても、数が多く集まれば力を持ち、弱者を食らうということだ。これは“個”で動くということに、多くの人間が自信と誇りを持たない限り変わらないだろう。