『そもそもの起源を知らず、知ろうともしないままモノを語ることこそ恥であろう』
※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。
さあ、願いを言うがいい。話だけなら聞いてやろう。(挨拶)
暑いのイヤ、暑いの。快晴天過ぎる。おまけに早朝まで降り続いた雨のせいで湿度も高い。電車内の報道では東京は24℃を観測したらしい。
RPG、すなわちロールプレイングゲームとは本来、特定のルールに従って役割を演ずるゲームである。TVゲームにおけるRPGと区別するためにTRPG(テーブルトークRPG)とも表現されることがあるが、もともとの起源はそういうものだ。
以前、耳にしたのだが、ここ10年で発売されたTVゲームのRPGしかやっていない層の中には、ファミコン時代のRPGをやると、登場人物のキャラクター性が薄い、などという感想を抱くらしい。もちろん容量の問題であまり詰め込めないということもあるのだが、しかしそもそもRPGとは観賞用の物語のようにストーリーを追うものではない。自分がその世界の中に入り、その世界のルールに従って動いていく遊びなのだ。だから物語とは自分で作るものだし、足りない部分を想像して補っていくものである。そういうものに対して、上記のような感想を抱くのは奇妙というかお門違いだろう。
もちろんそもそものRPGの概念など知らないのだろうから、そういう感想を抱くのも仕方ないといえば仕方がない。しかしいつまでも知らずにいて、知っている人間から呆れられるのは当人だ。恥を知る、というのは大事である。