風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その11+365+347)

『隣人を愛せよ、と言った人は、きっと複数の人間を平等に愛することができたのだろう。凄い、まさに聖人である』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 “平等に”愛するのは不可能に近い。本人がそのつもりでも、相手はそうは思わないからだ。(挨拶)


 朝から昼にかけては晴れていたが、しかし夕方以降は雨。桜が葉桜に移行するのと時を同じくして銀杏も葉が芽吹き始めた。もう冬の影はない。
 イスラム教圏の国では一夫多妻制が多く、実際、複数の女性を妻としている人も多いようだ。個人的にはこの形の方が自然であり、そうやって養っていけるのならば何の問題もないと思っている。歪な平等精神の元に一夫一婦制を強いるほうが異常だろう(この話は前にも書いたが、同様に一婦多夫も許容されてしかるべしと思う)。
 ただ、マホメッドの言葉に「複数の妻を娶ることはできるが、平等に愛することは難しい」というものがある。確かにその通りだ。しかしだからといって短絡的に、一夫一婦制が良い、ということではない。個人的には、日本の平安時代のような“通い夫”的システムがいいのではないかと思う。同じ家、あるいは頻繁に遭遇してしまうような環境に住んでいては揉めるのは当たり前である。災いの種は人同士の接触に他ならない。


 ちなみにイスラム圏のサウジアラビアではこんな事件が。一夫多妻の実情を見ることができるが、男性の方もさるもの。


 地元紙によると、思わぬ逆襲を受けた男性は、3人目の妻を選ぶことを宣言。「2人は無礼だ。私の威厳を取り戻すためには別の妻をもらうことしかない」と強調している。
 しかし「その場合、鼻に続き、何を失うのか知らないが」とも付け加えている。