風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その5+365+347)

『許容とは許可ではない。好きにすればいい、という意思表示でしかない。故に許容した側に責任はない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 無理を通して、道理を蹴っ飛ばす!(挨拶)


 晴れ。やや薄曇りであるが、日中の気温は平年並みといったところか。朝夕はかなり冷えた。
 熊本市の慈恵病院が設置を計画している『赤ちゃんポスト(通称・こうのとりのゆりかご)』が厚生労働省から許容されたらしく、どうやら正式に運用される方向で話がまとまったようだ。
 別に個人的にはどうでもいいことだ。きっと多くの人間がそう思っていることだろう(口でどう言っているかは関係ない)。ただ、この“どうでもいい”というのは、別にマズイ事態になったら助けます、などという意味ではない。あくまで、自己責任で勝手にして下さい、という意味だ。
 今回の話は、慈恵病院が独自に企画していることであり、少なくとも国の事業としてやっていることではない。国が許容したというのは、法制上、問題ないということを示したに過ぎない。故に、たとえ壊滅的な事態になろうとも、国家として税金で擁護する必要だろう。
 もちろん、警察や児童相談所は保護責任者遺棄を視野に入れなければならないので、無関係ではいられないが、これはあくまで地方自治体の問題だ。あくまでその範囲内で片付けることだろう。


 乳児を保護するという思想は良いと思う。しかし、その思想が善性に根ざし、やるべきことであろうとも、皆が協力するとは限らない(きっと賛同はするだろうが)。人間はそういう生き物だ。