風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その4+365+347)

『人間は無数の要素を持って構築されている。単一の能しか持たない者はすでに人間ではない。単一能しか持たない機械であろう』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 さよなら、L。(挨拶)


 朝はそれなりに晴れていたが、夕方、急激に悪天候となり雷雨。気温も大きく下がり、場所によってはみぞれだたようだ。4月に東京で雪が降るのは19年ぶりとのこと。
 とあるレストランの中で見かけたことだが、母親らしい2人の女性が話している横で、4人の男の子が一人一台のDSを俯き加減に抱え、黙々と『どうぶつの森』プレイしている姿があった。
 多分、Wi-Fiで通信プレイして一緒に遊んでいるのだと思うが、しかしそうと知らない人から見れば、かなり異様な光景に見えるのだろう。子供が俯き黙りこくって画面を眺めているのは、あまり好ましくないと思い込んでいるからである。
 もちろん、別にそんなことは異様でも何でもないことだが、風鈴製作者が子供の頃から、ビデオゲームはあまり活動的ではない、発育途上の子どもには不適格な遊びだと思われている節がある。おそらく身体的発育上の理由でそういうことを言っているのだと思うが、真に問題とされるべきはそういうことではない。


 ゲームそのものが問題なのではなく、どちらかと言えば“それしかやらない”というのが問題なのである。そういう意味では、外で駈けずり回って遊んでいる“だけ”、というのもいろいろ弊害が起きると考える。何事も、ひとつのことしかやらない、というのは狭量な人間を作るだけである。