風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その2+365+347)

『誉められるというのは心地よいのかもしれないが、そう長くは続かない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 鼻がまるで花粉症のようだが、体調は快方へ。(ついに挨拶に!)


 終日、どんよりと曇り、昨日と比較して10℃ほど気温が下がった模様。別に寒くはないけど。
 子供は褒めた方が良い、その方が色々なことに前向きになる、という意見を聞く。おそらく、基本的に子供は親の庇護を求めているので、その本能に基いた意見だろう。まあ特にそのことに異論はない。
 ただ、いつまでも何かにつけて誉めるのはどうなのだろう?
 誉める、という作業に割かれる実質的な労力は微々たるものだし、また子供側も本質的に何か得をするわけではない。今まで何回も言っているが、子供は馬鹿ではない。そんなことには早々に気付くだろう。そうなってしまえば、誰かに誉められることなど絵に描いた餅のようなものだ。そんなものにはすぐに興味を示さなくなるし、ましてやそれ目当てに行動することなどなくなるのが自然だ。


 しかし一般社会で大人が大人を誉める場面がままある。これは誉めている側が相手を子ども扱いしていることでしかないのだが、しかしそれで喜ぶ人間は多い。とても不思議だ。風鈴製作者はそういう観点から、誉められてもまったく嬉しくないし、褒めちぎって怠けさせようとしてる?、と疑う。これが自然では?