風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その362+347)

『局地的な面白さを世間に知らしめようとしても、すぐに成功するわけがない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 代表例:ハヤテとかドージンワークとか…。(挨拶)


 快晴。世間の皆々様は行楽に精を出したであろう一日。だが、きっと皆、帰宅後は口々に言ったことだろう――――ああ、暑かった、と。…まあ、そんな中、風鈴製作者は少し体調不良。喉がいがらっぽく、多分、微熱もあっただろう(測っていない)。
 というわけで簡潔に書くが、人気のある作品とは主にふたつに大別される。基本的なことを押さえ、大多数の人間に面白いと感じさせるものと、セオリーを無視し、徹底的にピンポイントな層を狙った作品だ。
 前者は純粋に作者の力量、その総合力に依存し、後者は突飛な発想や穿った思考に根ざしている。そして、前者が世間的に受けいれられるのは当たり前であるが、しかし、後者のような作品を世に認めさせるには、その面白さや素晴らしさを世間が消化し、理解するまでの時間が必要だ。つまり一定の支援が必要なのである。(ガンダムやEVAも始めはあまり受け入れられてはいなかった。ガンダムに至っては、実は放映途中での打ち切り作品だ)


 しかし支援があれば必ずしも成功するわけではない。いわゆる二次作品的なネタや、あるいは多くの人が生理的に受け入れられない描写があるものはやはり成功しないだろう。やはりそういう作品は一部の人に熱烈に支持されるだけに終わるだろう。