風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その356+347)

『時代の流れは完全に読みきれるものではない。だからこそ余裕を持たせるのだ。これはあらゆる分野に共通する』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 ちぇりお!(挨拶)


 とても暖かく、コートなど要らないほど。日中、穏やかに晴れ、麗らかな一日だった。ところで、春になるとアレな人が出てくる、というが、それはつまり、頭の中が麗らか、ということだろうか?
 ここしばらく、各地の電力会社が、原子力発電炉で過去に起きていた臨界事故を隠蔽していたという報道が続いている。もちろんこういったことを黙っていたというのは、責任者の責任回避以外の何者でもないので良いこととは言えないが、まあそれはあくまでその組織内で適切に処分・処理すればよいことだ。
 そんなことよりも、以前から言っている通り、風鈴製作者は原子炉をもっと活用すべきだと思っている。エネルギー問題と環境問題を同時に解決に導くにはこの方法しかないからだ。発展途上国も、エネルギーとしての核技術を切望しているし、今後、半世紀に渡り、この話は急展開を迎えると思う。
 そういう意味で、まだそういう激動期を迎える前に、こういった不祥事が出ておいてよかったと思う。先に悪い膿を出しておくというか、今のうちに不適正なものは吐き出しておいた方が、この国の将来のために良いだろう。


 この国は核武装していないのに、自国で核燃料を管理している国家であり、フランスと並んで、長らく原子炉の研究を続けている。そういったファクターは将来的に多方面に渡り、有利に働くことだろう。