風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その350+347)

『予報とはけして絶対ではない。あくまでデータとの整合性を語っているに過ぎない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 しかし天気予報のへ信頼は異様に高い。多分、外れても一般への影響が小さいからだろう。(挨拶)


 移動性低気圧が東海地方沿岸を通り過ぎ、朝7時過ぎにわずかに降雪(みぞれ)があった。もちろん公式の観測史上最遅。今までの記録が1960/2/10らしいので、34日も更新された。その後、すぐに止み、日中は曇り時々晴れ。湿度が高いので寒くはない。
 何日か前に桜の開花予報が、データの入力ミスで実際よりも早い日にちが発表されていたことが公表されたが、その後、修正発表された予報では、正しい予報がされていた地域でも、少し開花が遅くなるだろう、とされたようだ。3月以降の気温低下を加味した結果だ。
 前にも書いたが、天気予報は主に以前の観測データを元に予想している。降水確率などそのままパーセンテージになっているのである。つまり積み重ねの分野であり、あまり急激に環境が変化してしまうと、予想がつけづらくなる。風鈴製作者の周囲で、たまに長期予報などにケチをつけている人がいるのだが、けして気象庁の人々が無能なのではない。


 天気予報の当たり外れは、ある程度、環境の異常性を示す指針となる。とはいっても、いまだ人間は全ての事象を読み解いたわけでもないし、それどころか観測そのものすら完璧ではない。まだまだである。