風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その349+347)

『誰かに構って欲しい、という心理は、どう取り繕っても幼稚さを拭えない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 あ〜な〜ただけ見つ〜め〜てる♪(挨拶@この歌ほどイタイものはない)


 朝は寒(以下略)。しかし今日は日が落ちてからも、さほど寒くはならなかった。
 風鈴製作者は、個人的な主義として、夫婦だろうが親子だろうが基本的に他人である、というスタンスを採っている。当たり前のことだが、どのような関係であろうとも、一心同体などというものはありえない。人間同士は、それぞれの肉体は別個のものだし、その精神性や思考形態至るまで、まったく違う生き物なのである。それを無理に同調させようとすることには無理があるのは当然なのだが、しかしその程度のことをいまだに理解できない、しようとしない人間は多い。
 詰まるところ、自分たちのことが解っていない、ということだ。少なくとも、確固たる自己を持ち、自分というものはどういった性質の生き物なのかを考えれば、自ずと出る答えなのだが、そうではない人間が多いということだろう。


 人間は孤独になるために社会を発展させてきたといっても過言ではない。そして現代はすでにそれができる時代に差し掛かっている。自分は自分、他人は他人であり、他者に不利益をもたらさない限り、その人間には干渉しない。それができるのが、いわゆる“大人”であろう。