『物品の美しさとは、そこに込められたどうしようもないほどの無駄さにある』
※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。
グラタン、いい感じ。(挨拶@→)
今日もまあいい天気。昨日よりも少し雲が多い。そのせいかやや湿度高し。夕方になるにつれて雲が厚くなった模様。
古銭収集と呼ばれる趣味があるが、この分野は大抵の場合、より発行枚数が少ないもの、もしくは製造・流通の過程で何らかの理由があって手に入れにくくなったものを収集しようとするようになる。そういった傾向があるため、当然それに該当するものは高い値で売買されるわけだ。あくまでその一例だが、アメリカの1ドル硬貨が先月から新しくなったのだが、その中に製造上の不備があるコインが存在するらしく、現在、各所で取引が始まっている。
かくいう風鈴製作者も少しばかり、そういった方面に興味があり、子供の頃からちょこちょこと集めていたりする。その過程で気付かされたのだが、日本の貨幣は実に意匠が細かい。現行の10円玉の平等院鳳凰堂もそうだが、明治期の旧金貨などは異質とすら言えるだろう。こういった芸術性に引かれてコイン収集をしている人も多いと思う。
もちろん貨幣にこのような芸術性はまったく必要ない。極端な話、数字さえ書いてあれば充分なのである。しかしこういったデザインが失われることはないだろう。何故なら、人間は無駄とか余分なことを行ってこその生物だからである。(しかし電子マネーの普及で必要絶対数は減少傾向にある。100年後に、まだ“貨幣”というものが存在している望みは薄い)
追記
興味を持った人は参考に。
- 作者: 日本貨幣商協同組合
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