風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その343+347)

『現実と事実は大きく異なる。前者は所詮、個人的観測によるものであり、また時と共にそれは不鮮明なものとなる。そして、それはすでに事実ではない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 悲しいけど、コレ、戦争なのよね。(挨拶)


 特に何の変動もない気候。静かに晴れ時々曇り。穏やかにうららか。
 訴訟を起こすことのできる権利は誰もが有するものであり、その内容は“基本的に”問われない。その基準が甘いのか、たまにあからさまに妥当性に欠けるものや、公共性に乏しく、その結果如何によっては社会全体にとって不利益しかもたらさないような案件が提出されることがある。いや、コレのことなのだが。
 内容としては、戦争をしなければ東京大空襲は起きなかった、だから国はその謝罪と補償をしろ、という趣旨だと思うのだが――――なんで日本国を訴えているのだ?
 仮に戦争をしなかった場合、この国が実際の歴史よりも、好ましい歴史を歩んだ保証などどこにもないし、そもそも東京大空襲を始めとした絨毯爆撃に関しては、公然と非戦闘員である民間人を攻撃したアメリカ側に非がある。このことはハーグ陸戦条約の存在から明らかだ。そのことを無視し続けるかぎり、この訴訟において原告側を支持する人間は少数だろう。


 別に、だったらアメリカを訴えればいい、などとは思っていない。ただ、そのあまりの浅はかさに不快なだけだ。何を根拠に訴訟を起こしているのか、想像はできるが、そこに論理性は見出せない。