『ストレスとは誤った認識や予測が原因である。精神が健全かどうかなどまったく関係がない』
※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。
え、ヤクルトの古田氏に出馬要請したって本当ですか?(挨拶@民主党都知事候補)
昨日とはうって変わって快晴。その分、湿度も下がり、カラッと冷え冷えな冬らしい気候。やっぱ冬はこうじゃないとね。
ストレスについては以前にも書いたが、そもそもストレスを感じる瞬間とは自分の思ったとおりにならないときや、自身の意思や常識に大きく反する出来事に遭遇したときに発生するものだ。
多くの人間は、その原因を自らを取り巻く環境に求めているように見えるが、もちろん実際にはそうではない。周囲の環境は、ストレスを感じさせようとするために存在しているわけではないからであり、また周囲の状況を認識し、それを不快なものと判定しているのは自分自身だからである。
では何故そのように受け止めるのかといえば、それはその“気に食わない状況”というものを、予め想定していないからだ。簡単に言うならば、複数の意味で見込みが甘いのである。仕事で失敗したり、残業などでイライラするのは、そうなることを予期していないからであり、他人に理不尽なことを言われたりして悩まされるのは、その相手がそういったわけのわからないことを言う可能性のある人物だと認識していないからである。
様々なことを正しく認識し、予期していることで無視できないほど多大なストレスを感じることなどありえない。それでも大きなストレスを感じるというならば、それはその人物の精神が肥大しているからだ。傲慢なのである。