風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その320+347)

『個人の責任において起こった結果を、全体が補填するなど愚の骨頂だ』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 『メタボ(リックシンドローム)な日々』ってタイトルの本出せば売れるかな?(挨拶)


 朝から曇天、時々雨。徐々に徐々に天気はぐずつき、日没後、本降りとなった。海沿いでは強風が吹き荒れているらしく、また京葉線が不通の模様。気温も高く、南寄りの風を受け、18:30頃、気象庁が今年の春一番を観測したと発表。東京では初雪の前に春一番を観測したのは、観測史上初めてらしい。
 なにやら巷ではメタボリックシンドロームなる言葉が流行っているらしいが、外見ばかりを判定基準をしているのを見る限り、あまり意義のある用語ではないことは明白である。要するに広義の意味で“肥満体”ということだ。
 “ニート”もそうだが、何故わざわざ他の言葉に言い換えるのだろうか。しかも、その言葉が軒並み少し格好よかったり、ちょっと称号めいていたり、悪印象を与えないものばかりだ。元々、こういった言葉は誉められる類のものではなく、むしろ貶される、あるいは忌避されるべき用語だろう。だったらもっと分かりやすく、一度聞けば、明らかに悪い意味に捉えることができる言葉にすべきではなかろうか。成人病予備軍とかごく潰しとか。


 本当に問題視し、注意を促すならば、多少キツイ言葉を浴びせるくらいでちょうど良い。メタボにしろ、ニートにしろ、本人にまったく責任がない場合など、ほぼ存在しないだろう。キツイ言葉を浴びせられ、一念発起するならそれでよし。更に悪い方向に進んだところで、全てのツケを本人が払うような制度にすれば、何の問題もない。