風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その304+347)

『信仰というものは可変ではあるが、マントルに似る』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 つまり固体なんだけど流動的、だけど見かけ上動かない、みたいな。(挨拶)


 基本的に晴れていたが、さほど気温は上がらず。では寒いのかといえば、そうでもなく、どうにも中途半端さを感じた一日だった。多分、気のせいだと思うが…。
 千葉市内で建築業者が工事敷地に隣接する、隣の神社の神木(樹齢300年、他合わせて約20本)を誤って伐採してしまったらしく、双方が争っているらしい。(
 個人的には神木が云々というのはどうでもいいのだが、しかし何をどう間違ったらこんな結果になるのかが疑問である。もちろん単なるすれ違いだろう(そうだと信じたい…)が、しかし信仰の対象となっているものを含めて20本ほどもバシバシ伐採してしまう神経には、思慮が欠けている感が否めない。木を伐採した人の信仰がどうであれ、他の人の信仰心に対して常識的な配慮があれば、こんなことにはならないと思うのだが…。


 別に、もっと優しさを持て、とか言うつもりはあまりない(少しあるけど)。ただ、やはりこういった一種の狼藉を働けば、損をするのは狼藉を働いた人たちである。