風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その303+347)

『冗談が不真面目な行為となるか、場を和ませる行為となるかは、受け手の優しさと察しにかかっている。時と場所はあまり関係がない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 起きなさい、わたしのかわいい「ああああ」。(挨拶)


 昨日とは真逆に昨晩から晴れ渡り、朝はかなり寒かった。しかしそのまま快晴となったため、気温は上昇し、陽が落ちる時間になっても、さして寒くはない。
 空気を読んだ上での軽い嘘(すぐに嘘だと判断できるような嘘)やジョークは、場の雰囲気を和ませるのは、個人的にはどの地域に行っても通じる概念だと思う。けれど世の中にはそれを頑なに拒む人もいて、そういった人は、会議や勤務中といった場面では、けして冗談の掛け合いなどは認めようとしない。
 おそらく、その場所の空間を支配したい人がそういう考え、というか一種の思想を持つのだと思う。少し観察してみれば分かることだが、そういう人ほど、むやみやたらと自分の主張を通そうとする性格だ。良く言えばリーダータイプだが、しかしどちらかと言えば、単なるワガママさんだろう。


 勘違いしないで欲しいが、風鈴製作者はいつ如何なる時もジョークを解するべきだ、などとは言っていない。始めに、空気を読んだ上での、と書いたのはそういうことだ。ジョークを言うにもそれなりのタイミングがある。逆に言えば、ジョークの一切を排除しなければならない場面などない。全ては周囲の人がそれを解し、許容するかどうかだ。