風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その300+347)

『野生というものが人間に与しないということなら、言うことをまったく聞かないペットは野生動物ではあるまいか』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 同じじゃないと安心できない?(挨拶)


 少し雲が出ていたがいい天気。朝は風が強く、駅前のビル風ともなれば髪や服を押さえなければならないほどだった。しかしまったく寒くはなかった。
 上記のようなことを書いてみたものの(実は結構行き当たりばったりで書いている)、今、手近にある辞書を引いてみたら、野生=自然なままの、粗野で本能的な性質、とあった。前半の、自然なままの、というのが、人間の手の入っていない、という意味なら、現在、地球上のほとんどの地域は野生ではないということにならないだろうか?
 また後半の、粗野で本能的な性質、というのをそのまま当てはめるなら、人間だって本能で生きているのでは?、という疑問が発生する。…謎だ。


 いや、もちろん野生かどうかなど、その意味を定義し、規定するのは人間だけであって、動物はそんなことはまったく考えていない。…そうか、物事に意味を与えない生き方をするものこそが“野生”なのか…。