風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その299+347)

『不思議はいつだって隣人の中にあり、それを不思議と感じるのは自分だけだ』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 人間賛歌は勇気の賛歌ッ!(挨拶)


 終日、薄っすら曇った天気。光があまり差さず、気温も上がらなかった。しかしそれほど寒いという感じではなく、まあ平均的な冬の日だっただろう。
 その昔、不思議なことというものは人間社会の外側にあるものだった。それらは概ね神仏や魔物、妖怪の類が引き起こす怪異として人間に認識されていたが、その正体の多くは自然現象である。科学が未発達だった過去においては不思議とはそういうものたちだったのである。
 ではある程度、科学が進歩し、大抵のことが解明された現代において、人間の感じる不思議とはなんだろうか?
 きっとそれらは人間の内側からやってくるものであろう。人間の生み出した技術により演出された数々のアトラクションがそれに該当し、また人の不条理や不合理さ、または不安定さの結果として顕れる不可解な思考や行動が、人々に不思議を感じさせ、時に魅了する。いわゆる、“ミステリ”というジャンルはこれを狙ったものだろう。


 今日、ひとつそういうことがあった。ある青年の直面した現実。――気が付いたら青年の彼女が青年の子供を出産していた。…何を言ってるのか分からねーと思うが(以下略@ポルポル)。