風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その295+347)

『義務教育というものは、施して“差し上げる”ものではない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 あれ、2chに繋がらへんよ…。(挨拶)


 朝から雲っていたが、夕方に外に出てみると、空はますます分厚い雲に覆われていた。道行く人や地面の様子を見ると、どうも日中、一時的に雨も降ったようだ。気温的にはやや寒いが、湿度が少し高めなので、さして気にならない。
 以前に高校や大学は義務教育ではないのだから、行きたい人間だけが行けばいい、と書いたが、今日は義務教育であるところの小中学校について。
 近年、イジメがどうした、学級崩壊がどうしたと騒がれ、教職員の在り方やゆとり教育の問題点などを論議しているようだが、なぜ皆、もっと根本的な問題に気付かないのかと非常に疑問に思う。
 あえて高校の話をするが、高校ではそうそう学級崩壊など起こらない。よほど極端に荒れている学校はともかく、一般的な高校生はそのような馬鹿げたマネはしないのである。それは何故かというならば、生徒自身が歳を重ね、分別を持つようになったから――ではなく、高校には小中学校と違い、厳密な単位制度があるからだ。単位を落とせば留年し、何度も繰り返せば卒業資格がもらえないという、重いペナルティがあるのである。
 しかし小中学校にはそういうものは存在しない。ありていに言えば、甘やかされているのである。授業中に騒ぎ立て、授業を成り立たなくさせた挙句、教師にケンカを売って殴りつけようが、実質上のペナルティなどないも同然だし、いくら酷いイジメをしようとも、罪には問われない。身の程を知らず、図に乗るもの当たり前の環境なのだ。
 子供は馬鹿ではない(むしろ馬鹿なのはそう思っていない大人の方)。自分の行動に伴うリスクを考える思考力は充分にある。だから小中学校も単位制にすればよい。それも評価は授業態度を重視して、悪ければもちろん不可。道徳なども単位制にして非行や校内暴力・イジメを繰り返す者も不可。当然、単位が足りなければ留年。そうして中学校を卒業できなければ、参政権や各種免許取得を認めないようにする。これだけのリスクがあれば、まず学級崩壊など起こらないだろう。


 こういった断固たる政策を行えば、必ず反対する人間が出るだろうが、社会政策とは大多数の善良な人間のために存在するものだ。たとえ、いくらかの問題児たちが将来、悲惨な生活を強いられようと、それは自業自得である。それに、悪人も含めて全ての人間を幸せにしよう、などという考えは妄想以外の何者でもない。故に、この政策を断行したときに、本気で反対するのは、あまり道徳的ではない人間か、もしくはよほどの夢想家であろう。