風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その294+347)

『騙した者が勝ちなのではない。むしろ、たとえ事後であろうと、騙しに気付かれた時点で負けだ』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 跳梁せしは護郷の鬼 幽かな夜に双幻は出会う――(挨拶)


 晴れ。昼頃に一時的に曇ったが、またすぐに晴れた。午前中は風が強かったが、気温も上がり暖かい一日。そういえば日が長くなってきた。冬も緩やかに去りつつあるということか。
 突然だが(いつも突然か…)、戒名というものを知っているだろうか。いや知っているかも何も仏教徒の死後に寺のお坊様が命名するやつだろ?、と思った人。ハイ、その通り――だけど本来は違うものなので、適当に検索をかけて認識を改めるように。
 しかし、今日のところはそういう認識で構わない。あの戒名というものは、一般的な信士/信女(※これは宗派によって違うけど)の上位号であるところの居士/大姉という称号がある。最近、この称号についてお坊様と話す機会があったのだが、居士となった人間の配偶者は多くの場合、大姉に“する”のだとか。注意して欲しいのは、“なる”のではなく、“する”のだということだ。釣り合いをとるため、とお坊様は言っていたが、こういう話には必ず金銭が絡んでくるわけであるわけで…。


 ちなみにそのお坊様は居士/大姉の子供も、たいていは居士/大姉の位号を受けるのだとも言っていた。…だが、居士/大姉というものは、本職の僧侶並に徳や修行を積んだ者が受ける位号のはずなのである。それが親子関係で継承されるのはおかしいのでは?