風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その293+347)

『現実は連綿と続く。それゆえに現実において個人は英雄になりえない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 久しぶりにルービックやってみたら惨敗。(挨拶)


 昨晩の雨は夜半過ぎにやみ、早朝まではやや曇っていたが、日中は快晴。気温も上がり、暖かい日だった。
 物語の中で、主人公、あるいはそれに順ずるキャラクタが事件なり問題なりを格好よく解決するシーンが見られる。大抵の場合、こういったキャラクタは非常に優れた能力を持っているものだ。
 よく一般的に言われる、現実にはヒーローなんていない、というのは、実際にはそういった能力の高い人間なんていない、という意味として語られている場合が多いと思う。だが、実のところ、現実にヒーローがいない理由はそういうことではない。
 一般に比して、とても能力の高い人間はそれなりに存在する。それをかなり特殊なものとして扱うのは、単に平均レベルの能力しかない人間のやっかみでしかないのである。これは歴然とした事実であり、実際、特定の人間の能力や偉大な功績に依存している職場は多い。
 だが、それでもそういう人間が一種のヒーローとして扱われないのは、物語と違って、現実はどこまでも続いていくものだからだ。その道行きの中で、他多数の人間が関わり、干渉することにより、その才能の大きさを、さらに膨大で雑多なもので覆い隠してしまうのである。


 社会が大きく、多角的になるほどにこういった傾向は強くなる。人は確かに全体で生存していく生き物だ。しかし一部の人間の能力がその核となっているのは紛れもない事実である。