風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その291+347)

『知恵をつけるということは、どうにもならない地獄へ堕ちることと似ている』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 前日の方が、より報道されてるような気がしないでもない。(挨拶)


 晴れ。これで10日は連続で晴れているのではなかろうか(自分の日記くらい見返して確認しろよ、って言うの禁止)。風も緩やかで、暖かい一日だった。
 明日で阪神大震災から12年である。こういった時期になると必ずどこかのTV局で地震に関係する災害対策を論じた番組をやっているのだろうが、ああいった番組は問題点を挙げるばかりで、抜本的な解決策は提示しない。少なくとも風鈴製作者はそういう番組を観たことがない。
 これは“抜本的な解決法”というのが、事実上不可能であるか、まったく現実的でないからだ。例えば防火対策だが、基本として火災発生時、住宅地での延焼を防ぐには初期消火が不可欠となる。火事の現場に出くわすと分かるのだが、さほど大きな火災でなくとも何台もの消防車が来るのは、火災が起こった建物だけで火災を食い止めるためなのだ。火は風下側に放射状に広がるため、延焼が進むと手がつけられなくなるのである。だが災害時、一地域で複数箇所の火災が起こった場合、消防車は分散して配置せざるを得なくなる。そうなれば消火活動は難しくなり、ひとつでも消火に失敗すれば、地域丸ごと灰燼に帰することもあるのだ。
 それを防ぐには地元の消防団(恐ろしいことに分かっていない人もいるようなので書くが、消防署員と消防団員は別物である)の充実が不可欠なのだが、どこの自治体でも年々、団員数は減少しているようだ。とりわけ都市部ではそれが顕著らしい。原因は、もちろん本職が忙しいのもあるだろうが、都市部には元々の地元民ではない住人が多いことがあるだろう。非協力的なのは、当たり前とまでは言わないが、道理だとは言えるだろう。


 地震による被害は火災だけではない。建物の倒壊、車両事故などによる道路封鎖。それに伴う移動・輸送の困難。ライフラインの途絶。不衛生な環境。生活環境の激変によるストレス。犯罪行為の横行。挙げればキリがない。それら全てに充分な対策は取られていないし、見込みも甘い。災害時の非常召集訓練というものがある。平時に歩いて登庁するという訓練だが、何の異常もない道路を歩いてくることが何の訓練になるのでしょう?(やらないよりマシ、という発想だろうけど)