風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その290+347)

『いかに計画的であろうと、それを決意したときに冷静でなくては必ず失敗する』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 メテオって環境破壊魔法じゃない?(挨拶)


 晴れ。気温は少し上がって平年並み強といったところだが、朝は風が強く、体感的には昨日とあまり変わらず。――さて、ここまで昨日とほぼ同じ文章であることに気付いたあなたに、アクロバット浮遊日記1級を授与します。
 どうも世間はバラバラ死体が遺棄されている事件で賑わっているらしい。どうもこの間の妹を殺してバラして揃えて並べて晒した事件(晒してはないけど)とも連動して、マスコミが騒ぎ立てているようだ。
 個人的には事件の内容はどうでもいい。遺体をバラバラにしていること自体は、すでに殺人を犯し、それを隠蔽しようとしているという条件下ならば、さほど特殊ではない。多分、毎日どこかでは起こっているのではなかろうか。
 ただ、こういった事件で報道すべきは、けして犯人の家庭環境を暴きたて、その周囲の人間のプライバシーまでもを侵害することではなく、殺人という犯罪がどれほど不合理かということだろう。殺人を犯し、それを完全に隠蔽する方法を考えるよりは、殺人を犯す以前に、それに至る問題を解決、あるいは回避する方法を考える方が容易だ。夫の暴力に耐えかね殺しました?…離婚すれば?


 思うに、殺人をする人間は、目の前の問題を解決するために、代償を払おうとしない人間ではなかろうか。そうしていつまでも留まっているうちに精神的に追い詰められ、判断を誤る。そんな感じだと思う。