風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その285+347)

『誰かに指針を訊ねる人間には2種類ある。確たる計画のない人間と、誰かに自分の方針を支持してもらわなければ実行できない人間だ』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 16でキミと会い、100年の恋をしたね…。(挨拶@BLEACH新エンディング曲、イイね)


 快晴、そして朝は昨日よりさらに寒くなった。関東の平野部でも氷点下まで下がった地域が多かったようだ。いい感じだ。
 たまに聞く話だが、“どうでもいい”という意見はありえない、と思っている人がいるらしい。察するに、敵か味方か、白か黒か、勝ちか負けか、という二元論を妄信しているか、あるいは全ての事柄を自分と関係のあるモノとして自身にとってどういうものなのかを無理矢理にでも位置づけようとする人が、そういうことを思っているのだろう。
 別にそういう人がどう思っていようが自由だが、現実には、世間には自分と本質的に無関係な存在がある。むしろ関係のあるモノの方が少ないだろう。極端なことを言えば、親兄弟であろうと、どんな生活をしていても関係ないし、誰かと婚姻を結ぼうが、犯罪を犯そうが知ったことではないはずなのだ。それら全ては個人の裁量で行ったことであり、それに干渉するのは、ただ単に自ら首を突っ込んで関係を作ろうとしているに過ぎない。


 何事も無関係ではない、という考えは道徳観念の強いこの国ではなかなか払拭できない思想だろう。だが、法で保障されている個人の自由とは、そういう無関係なことはお互いに無視することで守られると思う。それを冷たいとかドライだとか思う人もいるのだろうが、そういう人はそういう人同士で集まって、お互いに干渉を続けていけばよい。それだけのことだ。