風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その284+347)

『逃避すること自体はマイナスではない。手遅れになって、初めてマイナスとなる』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 つっかっもうぜっ!(挨拶@DB)


 晴れ。朝はとても冷え込んだが、数分も歩いていれば慣れる程度、…だと思うのだが、しかし周囲の人間は、寒い寒い、と口々に言う。これだから冬は辛い、とも。やはり風鈴製作者はマイノリティらしい。
 何事かの困難に相対し、即時の打開を見出せないときに、全てを放り出して逃げ出すことは、間違ったことであると認識している人は多いと思う。その行動そのものが過ちである、という考えだ。
 しかし実際、その場から離れてみると、没頭しているときは気付かなかったこと、あるいは精神的抑圧から逃避したことによる新たな発想が生まれることはかなり多い。人間の思考形態は、行動に引きずられることがある。ひとつのことを延々と続けていると、思考も多角性を失くすのだろう。


 しかし、それで手遅れになったらどうするのか、という意見もあるだろうが、逃避というのは手遅れになったときに初めてその罪を問うべきであって、それ以前の段階では待つことが望ましい。そして、逃避を止めて戻ってきたら、それを受け入れる。そういう余裕を持つことが大事だと言いたい。