風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その280+347)

『情報メディアは変化するもの。特定の時間、特定の場所でなくては視聴できないものなど、とうに時代遅れだ』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 なにもかもが、真っ赤…。(挨拶@さて、何のセリフでしょう?)


 晴れ。ちょっと空気が乾燥している感じ。夕食時、適当にTVをつけていたらトップニュースが天気のことだったので、何事かと思ってまともに見てみれば、天気図がこの間、まとまった雨と強風に見舞われたときと同じような配置になっていた。おそらく明後日には東北地方及び北海道の太平洋側は大荒れだろう。東京も、明日はそれなりに降ると思われる。
 それはさておき、その次に報道されたニュースで、何やら都内で短大生の妹を予備校生の兄(次男らしい)が殺害してバラバラに分解したとかどうとかいうものがあった。
 個人的にまったく興味のない内容だったので、まともに覚えてないが、随分と時間を使って家族構成やその行動、生活背景までダラダラと報道していた。明らかに蛇足なことばかりの内容であり、何らかの決め付けでしかない意図を含ませているのだが、いつまでこんなことを続ける気なのだろう?
 ずっと以前のことは知らないが、少なくとも風鈴製作者が観てきたTV番組とは、ニュースに限らず、どこか押し付けがましい部分があった。ほらこんなに面白いでしょう?、みたいな。


 最近まではそれでも多くの人が視聴してくれたので、安泰だったのかもしれないが、今はTVなど観なくても情報は手に入るし、娯楽も無数にある。押し付けるのではなく、自らに引き寄せるような要素を作らなくては、TV業界に未来はないだろう(まあ、そもそも今のような形態は遠からず廃れるだろうけど)。