『まったく同一の物事を再現はできないが、同じ結果を出すことはできる。それだけのこと』
※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。
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冬らしい乾いた晴天。このまま29〜31日が晴れるといいな。放射で冷え込むのも辛いが、冷たい雨よりはマシだしね。
多分こういった記事を読んでも、ピンと来ない人がほとんどなんだろうな、と思いつつ、コレを紹介。
要するに、ヒトの行動はその度に構築されているので、まったく同じ行動をしようと思っても不可能だ、という話である。まあ、よくよく考えてみれば当たり前の話で、そもそもまったく同一の行動を再現するためには、始めの行動を記録しておく必要がある。そして、その記録を読み込み、それに従って動作するハード(肉体)が必要なわけだ。
記事内でこういったシステムが構築された理由を、予期できない事態に対応するため、と説明しているが、それ以前に、行動を再現するようなシステムが単に必要なかったために構築されなかった、あるいは、そういったことをする方が能力容量を大量に割かなくてはならなかったから、と考える方が自然ではなかろうか?あまり専門的なことは分からないので断言はできないが、記事内の説明は合理的ではない気がする。どうなんだろうか?
ついでだが、この研究では、完璧であることは同じ行為を繰り返すことのできる能力、と定義しているが、誰がそんなことを言い出したのかが最も疑問だ。学術的にどうなのかは知らないが、少なくとも一般に通じる概念ではないだろう。