風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その268+347)

『何かと節目を設けようとする心理は、違うものへの変化を望む表れである』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 全然気にしてないんだけど、毎年、カードは何枚かもらうんだよなぁ…。(挨拶)


 晴れ時々曇り。夕方には完全に曇った。寒くもなく暖かくもない。もちろんこの季節にしては、という意味であり、年間の平均気温に比すれば、もちろん寒いということになる。
 12月もあと一週間ほどである。それはイコール今日と明日が、いわゆるクリスマスというイベント日であるということだ。
 当たり前だが、この国に住む大多数の人間にとって、クリスマスとは生活上においても、宗教上においても、本質的な意味において無関係だ。クリスマスを一種のイベントとして考えている人間のほとんどは、何かを行う理由づけとして、それを利用しているに過ぎない。


 いや、別にそれが良いか悪いかということを言いたいのではない。そんなことは個人個人が勝手に思っていればいいだけだ(あくまで思うだけ)。ただ、そういう心理は、何かにつけて宴会を行おうとする風潮によく似ているな、と思うわけである。旧世代から続いている、特性なのかもしれない。