風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その267+347)

『どこかに思い込みがある以上、いくら考えても無駄だ』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 甘えてんじゃないわよ、お嬢ちゃん。(挨拶)


 よく晴れた……が、布団を干すためにベランダに出た以外、外には出ていないため、実感なし。ただ、日中、あまり寒いとは思わなかった。きっと暖かかったのだろう。
 小笠原でダイオウイカが釣り上げられ、初めて生きた状態での様子が撮影されたらしい。(記事
 ただ、別に釣り上げられたこと自体が重要なのではない。重要なのは、動作は鈍いと思われていたものが、実はかなり激しく活動できることが観察されたのが重要なのだ。
 こういった深海底に生息する生物(特に巨大なもの)は、なかなかサンプルを得る機会もなく、機会があったとしても、すでに死んでいる(あるいは打ち上げられた死骸)というケースがほとんどだ。そこから類推して、どのような生態かを考えるのだが、やはり百聞は一見にしかずというのか、生きているものと死んでいるものの境界の大きさを感じる話だなと思う。


 ダイオウイカはそれなりに生息数が多いらしく、昔から目撃例も多い(体もでっかいし)。しかし現在に至るまで、その生態のほとんどが分かっていないのは深海底に棲んでいるからだ。つまり同時に、人間は深海底の生態系はまるで把握できていないということである。それらが解き明かされるのは、まだまだ時間がかかるだろう。その主な原因は、技術力ももちろんあるが、最大の障害は――――まあ、言わぬが花だろう。