風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その266+347)

『この世に存在するほぼ全ての技術は、誰でも習得可能である。違うのはそこに至る時間だけだ』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 また曇り。あまり気温は上がらず、そしてあまり下がらない。緩やかなウェイブライン。
 ノロウィルスの続報なのだが、結局、職場の人間からはウィルスは検出されず、すぐに通常業務に戻っている。ただ、始めに不調を訴えた人間は紛れもなく胃腸炎であったのだが、診断した医者は「ノロウィルスかもしれないが、絶対ではない」という判断に留めている。彼(男性である)からもウィルスは検出されていないのだ。
 もちろん医者が適当なことを言っているわけではないだろう。きっと本当に分からないのだ。彼らは医術において専門家であり、専門家であるが故に迂闊なことは言えない。検証の結果、今のところ不確定なので、分からない、と言っているのだ。
 しかしいくらかの人間は、こういった曖昧さを嫌う。専門家はなんでも知っていて、あらゆる事情に対し、明確な判断を下せると、そういう幻想を持って、安心しようとしているのである。自己防衛だ。


 真の専門家とは、分からないことは分からないと言える人間だと思う。それが当人の知識量の問題であろうと、観測(検査)機器の問題であろうと、不明であるという現実を認めて、さらに前に進もうとする人間こそが、専門家足りえるだろう。