風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その265+347)

『綺麗事ばかりを言い聞かせるのは洗脳ではなかろうか?』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 お前たち、生きてない!死んでないだけ!(挨拶@豪拳エイラさん)


 ずっと曇り。どうも太平洋上の暖かく湿った気団が南下しきらないせいで、冬とは思えないようなスッキリしない天気が続いている。
 自らの価値は行動の末に自らが決めるもの。ただ生存しているだけで、充分な価値があるなどというのは、ただの甘え。むしろそれは自らの価値を他者に投げ渡す行為。自らの価値を放棄していることに他ならない――――と、風鈴製作者は思っているのだが、しかし世間的にはそうではないらしい。かの有名な金×8先生は、今でもモニタの中でそういった講釈をしているようだ。皆、そろそろうんざりしないのだろうか?


 他者の判定など無視するべきだ、と言っているわけではない。ただ、綺麗事を鵜呑みにすることは非常に危険だし、誰にとっても良い影響を与えないのは間違いない。