風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その264+347)

『何かの言いなりになるということは、そのものと運命を共にすることに等しい』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 火のよーじん、というフレーズが蔓延する季節。しかしどんな季節だろうと火は用心して使うよね。(挨拶)


 昨日とほぼ同じ天気の移り変わり。しかし昨日ほど暖かくはならなかった。いよいよ師走も下旬に差し掛かったが、しかし銀杏の葉はまだまだ枝に生い茂り、青いものも残っている。明らかに例年よりも遅い。確かに落ち葉は増えているが、しかしこのペースでは年を越すことは必至。
 そういえば、結局、風鈴製作者は胃腸炎などの症状を起こすことはなかった(ノロウィルスの話)。実際に感染していたかどうかは分からないが、取りあえず一安心。
 職場の方も、消毒が終わったらしく、明日からまた通常業務に戻るとのこと。しかし、一昨日書いたとおり、症状が治まっても、しばらくの間は保菌者(キャリア)であり続けるので、注意は必要だ。まあ、そのあたりの対策は、どの程度の業務員が感染していたのかにもよるし、そもそも会社側の意向が全てなのであまり気にしないことにする。対策が不十分で、また誰かが再感染しても、信用をなくすのはあくまで会社の方だし(おかしなことをしていれば、それなりに方向修正を促すだけだ)。


 会社と一蓮托生という時代は終わった、とまでは言わないが、しかしそうではないカタチ(スタイル)が増加しているのは事実だ。個人的にもその方が安全だし、おかしな歪みを生まないと思う(例:リストラ=会社側の裏切り、という感情は、会社への依存心が大きすぎるから起こる感情だろう)。何事も、一極集中するのは好ましくないということだ。