風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その260+347)

『賭けとは、やはり確率論に過ぎない。リスクに見合ったリターン、という思想自体が幻想だ』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 破壊神って、全てを破壊し尽くしたらどうするんだろ?自分を破壊しだすのかな?(挨拶)


 午前中は晴れていたが、ちょうど正午あたりから雲が広がった。2時くらいには完全に雲で覆われ、一見、雨が降りそうではあったが、しかし風鈴製作者は、今日は降らない、と判断。日没後、手ぶらで新宿へ出かけた。
 大学時代のサークル仲間との忘年会があったために出かけたのだが、その前に少し街を散策した。新宿駅南口を都庁方面に向かうと街路樹として銀杏が並んでいるのだが、そこの銀杏は、自宅付近のものよりも、気持ち葉が茂り、まだ青いものが多く残っていた。やはり都市熱のためだろうか。人間は、斯くも自然の影響を与えている(街路樹が“自然”かどうかは疑問だが)。
 忘年会は特にこれといってなし。…とか書くと、万が一、一緒に飲んでいた人間が読んだときに不快な思いをさせそうだが、別に他意はないし、その場にいた人間のうち、一人にしかこの日記の存在を明かしていないので、まあ問題はないだろう。
 一応、そのたった一人向けに書くと、風鈴製作者は久しぶりに見る女性陣の顔を、結構しっかりと観察していた。H.Mさんは“ふっくら”したなあ、とか、H.Oさんはバッタもんくさい化粧だなあ、とか、M.Sさんは大人っぽくはなったけど同時に老けたなあ、とか…。……結局、これって読まれたらヤヴァイのか?


 えー、世の男性の多くはあっさり女性に騙されるバカモノ揃いだが、割りあい、ちゃんと観察して分析している人間もいるので、それなりに油断は禁物。しかしそれは逆の立場からも言える。以前、少し親しい女性とその手の話をしたが、女性の男性に対する評価判断は、背中に薄ら寒いものがあったものである。