風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その256+347)

『なんでもかんでも価値に換算するべきではないが、しかし金銭というのは誰もが納得する評価法だ』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 古田氏って若いよね。原氏の若々しさはいい加減、異常だけど。(挨拶)


 朝は曇っており、昼間には降りだし、夕方前にはまた曇り。朝、天気図を見て、傘は持っていかないことにした。日中はずっと屋内にいる予定だったからだ。そして見事、一滴も雨には濡れませんでしたとさ(実際には、靴の裏は濡れただろう)。
 今日のスポーツ紙の朝刊(どこの新聞だったかは知らない)の一面で、ヤクルトの選手兼監督である古田氏が契約更改に臨み、前年の1/4である年俸6,000万円で契約した、という内容を伝えていた。どうも1億8,000万円downというのは、今までの最高減額らしく、そのことを交えて、来期は税金(住民税)のために働くようなものだ、と書かれていた。
 しかしこれはそんなに大々的に書き立てるようなことだろうか?
 そもそも野球選手というものは、本来、完全能力給のはずなのである。正直、古田氏の今期の成績からいえば、年俸6,000万円という金額は妥当ではなかろうか?どちらかといえば、花形の選手であれば、成績が振るわなくてもなかなか減棒にならなかった今までの方がおかしかったと考えるのが自然だろう。


 この国は、過去の業績を過度に評価する傾向にある。そういう民族性といわれればそれまでだが、そういうことをしている限り、真に能力のある人間が正当な評価を受ける社会にはなり得ないだろう。