『大事なものはどんなポンコツでも、やはり大事だ。もちろん動くことが前提だが…』
※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。
Me、いらない子!?(挨拶)
今日も晴れ。しかし今週は週末にかけて少しグズつくらしい。愚図つくのではない。空はいつだって聡明で速やかだ。
MicroSoft社のWindowsVistaの発表会が先ごろ行われたのだが、その際、提示された歴代Windowsの一覧の中に、Meがなかったということだ。確認していないが、要するに――
MS-DOS→3.1→95→98
>→XP→Vista
NT→2000
――ということなのだろう。
98とMeがほぼ同じシステムなので省いた、という見方もできるのだが、しかしそれにしてもMS社ほど名の響いている会社が、公の場で自社の製品を省略するのもどうなのか?
風鈴製作者は今でこそXPを使っているが、だがこれはバージョンアップしたもので、それ以前はMeだったのだ。しかも世間が次々とXPに移っていく中、4年ほども使っていた。
確かにMeは使えない。メモリ管理がヘタクソすぎて、ちょっと負荷をかけるとすぐフリーズするし、デフラグかければ失敗するし、セキュリティ穴だらけだし(これはXPも一緒か)、もう何回(Ctrl+Alt+Delete)×2を繰り返したことか知れたものではない。とんだポンコツちゃんである。ハッキリ言って、98の方がマシなのは、れっきとした事実だ。
だがそんなMeも、長らく付き合っていると愛着が湧くものなのだ。そして毎度毎度フリーズどころかキーコマンドすら受け付けなくなるダメな子を、どうにかこうにか看病して、あやして、なだめて、動かすあの苦労…。あの時代なくして、今の風鈴製作者は存在しない。今現在、PCが何の問題も不満もなく動いているのは、XPの性能のおかげだけではない。確実にMeのために蓄積した(させられた)知識のおかげでもある。
よって風鈴製作者にとって、Meはある意味でかけがえのないOSである。それを黒歴史にされているのはやはり悲しい…。この気持ち、一部の人は分かると思う。というか一部の人だけ分かって欲しい。――――ボクらは、Meのことを忘れない…。(最終回風味)