風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その247+347)

『習慣というものはなかなか崩せないものだが、しかし人間の適応能力(慣れ)も目を見張るものがある』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 執事って、本来は家の仕切り役であって、掃除が得意でコンバットかつ天然ジゴロな執事なんていない。(挨拶@ハヤテ)


 やや薄雲っている(言葉がおかしい?)が、しかし冬晴れ。というのも、朝方は少し冷え込み(7℃くらいか)、やっと冬らしい日になった。
 体調はだいぶ良くなった……が、不注意で今度は利き腕の人差し指を1㎝ばかり切ってしまう。このように書くと、まるで指の先端を切り落としてしまったように読めるので注意。もちろん指の表面を裂いてしまったという意味だ(裂く、という表現もどこか過剰に痛々しい感じだが)。
 指の腹の部分を切ってしまったので、何をするにも影響が出るのだが、しかし人間の適応能力とは素晴らしいもので、すでに他の指や、あるいは反対の手を駆使して、ほとんど普段と遜色なく活動している。この文章も、2割ほど減速してはいるが、それなりにストレスなくタイピングできている。


 昔、野球をやっていたのだが、一時期、スイッチヒッターを目指したことがあった。結果としては、周囲の制止もありそのようにはならなかったが、しかし、まるで打てなかった、というわけでもなかった。やってみなくちゃわからない、とか、訓練しだいだ、というセリフをたまに耳にするが、まあ大抵のことは、相応に本気になれば達成できるのかもしれない(あくまで、かもしれない、だが)。