風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その244+347)

『何かを愛することと、それに対して尽くすことは別の問題だ』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 だから、泣かないで。(挨拶)


 昨日の晴天とは打って変わり、曇天時々小雨。少し寒くなったが、しかしそれでも気温は平年並みか、少し高い。気象情報によれば、今年の11月は観測史上4番目に暖かかったそうだ。去年は少し寒い冬だったのだが、どうも今年はこのまま暖冬の模様。(…今、“だんとう”を変換したら、第1候補が断頭になった。ちょっ、怖いよ!こんなのに変換した覚えなんてないって!)
 何やら今朝から喉から鼻腔にかけてがいがらっぽく、少し痛い。今のところ体調は悪くないが、周囲の人間が多数、風邪をひいているので、多分うつされたのだろう。
 ところで、この国ではウイルスに感染することを、うつされた、と表現することが多い。ウイルス自身に他に感染拡大しておこうとする意志はないので(習性はあるが)、つまりこの言葉には、先に感染している人間に責任があるというニュアンスが窺える。しかし、もちろんその人物には何の責任もなく、また能動的に他者にウイルスを感染させようとしているわけでもない(一部例外あり)。だから明らかに現代においては筋違いの言葉だといえるだろう。


 きっと、過去、医学が未発達で、ウイルスの存在が確認されていなかった時代には、病気は現象そのものとして人が運んでくるものだと思われていたのだろう。だから業病が蔓延しそうになったときには、発病している人間を隔離していた。経験則で、感染症の対処法を知っていたのである。だから、健常な状態にある人間が業病の者に近づくことはなく、その逆のパターンで、隔離に耐えかねた病人が逃げ出し、周囲に病気を振りまいた、ということから、病気は“うつされた”と表現するのではないのかな、と考えたり考えなかったりした11月最後の日。