風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その242+347)

『全体で取り組む事柄に対し、YES、とすぐさま答えられるのは、計画推進者か、もしくは何も考えていない人である』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 使い魔が欲しい。ゼロの、ではなく。(挨拶@雑用)


 昨日の雨は昼のうちに止んだのだが、しかし昨晩からまた降り始め、今日は夕方まで降ったり止んだりだった。
 あまり詳しいことは知らないが、どうも東京都は2016年のオリンピック開催地候補に名乗りを挙げているそうだ。個人的にはどうでもいい、わけではなく、あまりやって欲しくない。周囲(日本人)が無闇に騒がしくなるのもそうだが、個人的趣味の分野であまり良くない影響が出そうだからだ。――――いや、コミケのことだけど。
 42年前の東京オリンピックは、戦後、見事に復興を果たした日本国がその象徴として、一丸となって行った一大イベントであったと思う。TVの普及もあり、きっと国民の多くが望んだ開催であったことは間違いあるまい。しかし2006年現在、どれほどの人間が、オリンピックの国内開催を望んでいるのだろうか?確かに表層上はそう嫌な顔はしないだろうが、それでもせいぜいが、まあやってもいいんじゃない?、くらいの感情だろう。ハッキリ言って他人事である。


 もちろん、オリンピックの開催を望む人間もいるだろう。しかし、その内、ほとんどの人間はオリンピックのような国際スポーツ大会の、競技そのものを楽しみにしているわけではない。勝つか負けるかを観ているのである(その証拠に、自国の選手が出ない競技にはマスコミも一般人も見向きもしていない)。勝ち負けが気になるだけなら、わざわざ身近で実際に観戦する必要はまったくない。映像記録が発達した現代においては、どこでやっても同じことである。