風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その240+347)

『苦労する楽しみを知っていれば、いつまでも楽しめるだろう』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 でも、メンメンメガネのよいメガネ♪、は今でも放送されている。(挨拶)


 昨晩から気温が急降下。朝方はとても寒くなり、日中もあまり気温は上がらなかった模様。寒い寒い、と周囲の人間は言うが、しかしまだそれほどでもないだろう。冬はこれからだ。
 またPCの話だが、平日の夕方過ぎに街の量販店や専門店のパーツを売っているフロアに行くと、割りと中高年の方が多いことに気付く。対して、若年層、特に25歳程度以下の人間はほとんどおらず、同じ店内でも、大抵、彼らはゲームや、あるいはメディアを扱っているフロアに集中している。
 中高年の方は、おそらくPC-98時代(PC-88?)からのヘビーユーザーであろう。風鈴製作者は当時のことはほとんど分からないが、しかしここ10年の一般向けコンピュータの推移を見るに、当時のコンピュータは難解で、かつ非常に手間のかかるものであったことは、充分に窺える。
 それに比べ、現在のコンピュータは、基本的な英語ができてさえいれば、容易に、あらゆることに手が出せる。ハード面からもソフト面からも、様々なサポートがあるからだ。
 しかしそれでも、ほとんどの一般人には、PCの改造はおろか、自分の使っているPCのスペックすら把握しようとしない。多分、PCは家電であり、一般人が自分で改造したり修理したりするものではない、という認識が広まっているからだ。そのように思い込み、自ら敷居を高くしているのである。


 その存在が一般家庭に浸透し、メーカーが家電として扱うようになって以来、PCはすっかり買ってきた状態そのままで使うようになった(らしい)。せっかくいろいろといじれるのだから、という発想で風鈴製作者はPCを適当に改造している。だがそのようなことをする人間の方が少数派のようだ。やはり便利すぎると、別にこのままでいいや、という気分になるのだろうか…?