風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その237+347)

『誰しも、自身の本質に続く行動がある』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 あ、書き忘れたけど、ちゃんと設置できたし、快適に動作してるよ。(挨拶@処理速度、約3割増し)


 朝、昼と晴れていたが、しかし夕方には雲が広がり、日没後、パラパラと雨が降り出した。朝から、あまり気温の変化がない感じ。寒くはないが、暖かくもなかった。
 風鈴製作者はあまり物を捨てない人間だ。購入した書籍は雑誌に至るまで、まず捨てないし、売らない(さすがに漫画雑誌は捨てているが、以前はそれすら保管していた)。手に入れたものは、子供のころ集めたシール(某チョコ菓子のアレです)やカード類、アーケードでGetした、どうでもいいようなぬいぐるみやキーホルダーなども、ほぼちゃんと保存している。
 これらは別に物持ちがいいとか、そういう次元の話ではないし、また無精などの類でもない。同時に、保持しているものが、将来的に役に立つという希望的観測を抱いているわけでもない(一部例外はあるが)。
 かといって、絶対に手放せないかといえば、そうでもない。実際、プライズ品のぬいぐるみなどは、欲しい人がいた場合には、あげたりもしているのだ。


 正直、自分でも、どのへんに保持している理由があるのか、よく判らない。今までの足跡を残しておきたいのか、それとも自分自身の証しのようなものと感じているのか…。どちらかといえば後者だが、しかしそれだけではないと思う。この辺りに、風鈴製作者という人間の“核”に通じる入り口がありそうな気がする。その扉を開けるのはいつのことか、それとも開くことなく終末を迎えるのか…?