風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その222+347)

『物事を抜本的に見直せないのは、システムそのものを崇め奉っているからだ』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 容赦せん!(挨拶)


 日の出が遅くなって云々、とか言っていたが、ほんのわずかな日向で、強烈な朝日を食らう。ギャヒィーッ!…まあ、ともかくそれほどに晴れていたということ。そういえば、どこかの地域(多分、北海道のどこか)では、平年より2週間ほど遅れて、初雪が降ったらしい。やはり暖かいのだ。
 世間的に、少子化というものはあまり歓迎されない傾向にあるようだが、実際の問題として、少子化すると、何が問題なのだろう?
 よく言われるのは年金や社会保険が成り立たなくなる、という意見だが、いや、そんなことはないだろう。払い込まれる保険料が少なくなる、というのなら税金でまかなえば済む話だし(それがいけない、と言う人もいるが、理解不能である)、むしろ、今までの、複数の若者で、一人の老人を支えていた状態の方が奇妙な状態だっただろう。
 そもそも平均寿命の上昇や、福祉観念(可能な限り生かす、という考え)の高まりに伴い、現行のシステムでは不具合が出るのは自明のことだったはずだ。風鈴製作者が子供の頃に習った社会科では、すでにそのこと(現行システム下における、少子化に伴う弊害)が指摘されていた。何で今になって、そんなことを社会問題としているのかと不思議に思う。単にシステムそのものを見直せばそれで済むことのはずだ。それでもなかなか修正でいないのは、人間がシステムに支配されているからだろう。


 子供に明るい未来を、というフレーズをよく聞くが、本当にそう思っているなら、時代(現実)に即したシステムに変更することが望ましい。それによって現代を生きている人間が苦しくなっても、それは仕方のないことだ。今を楽に生きながら、未来も楽しく、などという欺瞞は、とうの昔に通じなくなっているし、誰もがそのことに気付いているはずだ。ただ眼を背けているだけである。