風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その220+347)

『社会的常識だからといって、選択の自由を奪うのは間違っている』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 ――――すっぽんぽんだった。(挨拶)


 ほぼ終日曇っていたが、寒くもなく、また湿度も高くはない。とてもフラットな陽気…という表現が正しいかは判らない。とても難しいラインだと思う。
 なにやら、高校の授業未履修の問題が一部で(主にTVの中で)騒がれているようだが、個人的見解を述べるならば、風鈴製作者は、無理にでも履修するかどうかなど、生徒自身に選ばせればよいと思っている。高校は義務教育ではないのだから、本来は無理に学ばせるような場ではない。学ぶも学ばぬも自由なはずだ。
 それに、何故、今現在、高校に就学している人間だけに履修を課そうとしてるのかが、よく解らない。どうしてすでに卒業してしまった生徒たちの扱いを、誰も論じようとしないのだろう?現行の制度に従い、公正に見るのなら、履修せずに卒業した人間は、高校卒業資格は無いはずなのだが…。


 一応書いておくが、風鈴製作者はあくまで個人的意見を述べているだけである。現在の制度上、卒業のために必要とされている教科を履修していないのだから、それはちゃんと履修するのが当然だ。しかし、今後の高校の在り方を論じる上で、今回の一連の問題は意義あるものにすべきだと思う。…多分、何も変わらないだろうけど。