風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その216+347)

『老いに気付く、ということは、自らを過信していたということだ』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 愛は勇気を信じる力か?(挨拶)


 まだまだ晴れ。一時雨、という予報だったが、結局降らなかったようだ。気温は、昨日と比べると、少し低かった。
 今日はとても単純な話。
 老いを実感する場合というのは、たいてい身体能力の衰えや、思考能力(記憶力含む)の低下を感じたときだろう。つまり、それまでは、まだまだ自分は若いときと同じくらいの能力を保っている、と(無意識下で)思っている、ということだ。


 どんなに取り繕っても、成長しきったら、後は衰えるだけである。確かに、それは緩やかではあるが、確実に下降している。常に、自分自身を観察し、評価することが大事だ。