風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その200+347)

『買ったものをどう扱おうと自由だ。しかしそれを防ごうとする動きは、確かに存在する』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 安全って何ですか?誰もが望むものですか?(挨拶)


 晴れ。外はずいぶんと気温が上がったようだが、ほとんど外に出ていない風鈴製作者には分からない話。ある意味、世捨て人のようだ(いや、違う)。
 休みだったので10時ごろ起きて、小説を書いたり、ちょっとマンガを読んだり、小説書いたり、クリップ扇風機をバラして内部の掃除をしたり、雑事を済ませたり、小説書いたり、まあ色々。
 最近の家電は、簡単には分解できないものが多くて、たまに困らせられることがある。今日も扇風機がネジを外しても、接着剤で固定してあったため、少し苦労した。メーカーとしては安全への配慮のつもりなのだろうが、お金を出した消費者が、それをどう扱おうと自由だし、それで怪我をしても、分解した本人の責任だと思う(読んでいないが、多分、説明書のどこかにも、そう書いてあることだろう)。使うのも、壊すのも自由ではなかろうか?


 聞いた話だが、メーカーPCで、消費者自身がパーツを追加、あるいは交換した場合、メーカー保証の対象外になる場合があるらしい。以前、それで文句を言っていた知人がいたが、そんなの当たり前である。メーカ側のスタンスとして、改造されることを前提にして製品作りしてはいないのだから、保証が利かなくなるのは道理だ。自己責任の意味が分かっていない、好例だろう。