風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その199+347)

『ゲームのために苛立つことは、本来の目的から外れていると言わざるを得ない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 子供を囮に姫を攫うクッパ、マジ外道!(挨拶@マリオ3)


 晴れが続く。気圧配置的には、今年はもう台風は来ない感じだ。…あ、いや、本州には、という意味であって、小笠原諸島はまだなんとも…。
 帰宅途中で、なんとなく秋葉原を徘徊。海外製SDカードを一枚買った(またかよ)。その帰り際にファミコンの某有名タイトルがハードのサンプルとして展示されていたので、プレイ。当然のように笛を2個取って、8面へ……行かず、何故か7面へ。いや、ボスの長兄と戦いたかっただけなんだけどね。しかしやってみると、割りと簡単にクリア。飛び跳ねるたびに、その振動でスタンを食らったり、もっと強敵だった覚えがあるのだが…。
 そのままの勢いで、8面へ。…なんかパターンを知り尽くしているせいか、7面よりも簡単。一度も死なず、ラスボスへ。嫌がらせのように、7面で取ったハンマースーツを纏って挑み、瞬殺する。――――以上のプレイを、月刊雑誌2冊が入った袋を抱えたまま、やりました、まる。


 なかなかではあったが、物足りなさは否めない。昔のタイトルは、嫌らしさテンコ盛りのものばかりだったので、その分、クリアしたゲームは、やりこみが半端ではない。よって、今でもちゃんとクリアできるわけだが、この感覚は、PS発売以降にゲーマーになり、ヌルいゲームばかりに慣らされている人には解らないと思う。昔はゲームをクリアすること自体が、戦いだったのだ…(遠い目)。