風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その196+347)

『芸術とは、自由でなくては、もはや芸術足りえない』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 近所の子供が奇声を上げている。(挨拶@しかしガキはそうでなくては)


 晴れ。昨日書いた通り、執筆に励むため、ちょっと引きこもろうと思い、いくらかの食料を買い込む。そこで気がついたのだが、地元のお菓子専門店と、\100ショップがディスカウント合戦をしていた。例えば三ツ矢サイダー(250ml)が\41/\38、ポテチ(70g)が\73/\68とか…。…なんか切実さが滲み出ているな、と思う。
 『DEATH NOTE』の13巻が発売されたので、買い物の途中に地元の本屋で購入。なんか、少年誌コミックスのコーナーに、初回限定特装版がダンボールのままで置かれているのが異様だった(バーコードが外箱にしかないため)。
 内容については、まあ、よくある設定本ってことで、特に言うことはない。あくまでファンアイテムである。
 しかし、原作者の大場つぐみ氏が、善悪論で語る気はありません、と言っているにも拘らず、悪に染まった月の顔が云々、と書かれているのは、どうなのだ?


 多分、編集部は意識してわざとそう書いているのだろうが、別にそこまで世間の目を気にする必要はないのではなかろうか?元々、作品が作品なんだし、そもそももう少し平等的な書き方もあると思うのだが…。