風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その189+347)

『始めに大きく、徐々に精密になるのが常道。しかし繊細さはいつも胸の奥に』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 そういえば、小説部門はなかったな…。(挨拶@昨日を参照)


 ずーっと雨。しかも風が強い。台風級。夕方頃には、都内でも風速30mの風が吹き荒れたらしい。
 ふと思い出したが、風鈴製作者が子供の頃、台風が来るたびに必ずと言ってよいほど、TVの報道番組で行われていたことがあった。レポーターを、暴風が吹き荒れ、高波が押し寄せている海岸線に派遣するのである。
 おそらく、始めは臨場感を出すためにやったことなのだろうが、だんだんとその行為自体にエンターテインメント性を求めていったように思う。結果的に、その危険性を咎められたのか、現在では見られなくなったが、思えば、当時のTV局は命の危険すら厭わないことを、平気でやらせていた。そういった危険を伴う行為が、スリルを生み、演出的効果を高めるのは間違いない。そしてそういった手法を行うのに際し、最も手軽に用いることができるのが人間(の命)だったのだ。


 最近は映像効果の技術も発達したし、技術を利用できる人間も増え、またそういった方面への理解度も増した。時代は物質を用いるよりも、幻想を駆使する方向に進んでいると評価できるだろう。