風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その188+347)

『真の天才とは、自らの内部に確立された世界を内包する者を言う。それを外界に顕現するのが、“神”である』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 月(ライト)は天才ではない。断じて。(挨拶)


 朝8時頃から雨。ちょうど家を出て駅も間近、という時に降り出したため、傘を開くのも億劫だった。だから、そのまま駅までダッシュしてみる。たまにはこういう緩急、というか負荷を体にかけてみるのも必要かと思う。
 なにやら最近、ジャンプとサンデー掲載漫画が原作のアニメが多い。確か今期はジャンプが8作(ワンピ/ブリーチ/ナルト/アイシル/銀魂/デスノ/武装錬金/D.グレ)で、サンデーが3作(コナン/ケンイチ/結界師)だったか。週にだいたい50作品ほどのアニメが放送されているはずだから、全体の5分の1ほどが週刊漫画のアニメということになる。
 昨日、文化庁が発表した『日本のメディア芸術100選』のマンガ部門ではTOP3を全てジャンプ漫画が独占していたり(あまり信頼性のある調査内容でもないけど)、以前、某女性雑誌で、どんなマンガ雑誌を読むか、というアンケートで、ジャンプが1位になったりと、斜陽を謳われながらも、相変わらず少年誌というのは、知名度スゴイものがあると思う。
 ところで、アニメというものは、本来、ひとつの“作品”として創られるべきものだと思う。原作付きがダメだ、とはまったく思わない。それはそれで、アニメ化してプラスアルファとなる部分を創っていけば良いだろう。
 しかし現在、ほとんどのアニメ化作品は、原作をそのまま“動いて音声のある絵”にしている場合がほとんどだ。言い換えると、原作をより引き立てるためのアニメ化、ではなく、アニメを製作するために原作を引っ張ってきている、というニュアンスだ。それはもう作品ではなく、単なる映像である。


 アニメに限らず、あらゆる分野においてそういう傾向はある。それらが商売であることは、充分に理解している。しかしそれは、将来に渡っても、その業界が生き残ることが前提ではなかろうか。――――解って欲しい、この想い…ッ!(漫画読み歴及び、アニメ観賞歴20年の風鈴製作者が、長々とお送りしました)