風鈴製作者 空、その底辺でボソリ…(その181+347)

『現実とは、虚構に過ぎない。知覚した瞬間に、それは全ては偽である』


 ※この日記は、風鈴製作者のそのときの気分によって内容が激変する可能性を孕んでいます。多趣味的人格(多重人格性とも言う)を認めない人にはきっと耐えられません。あしからず。


 ○○が僕に敵うわけないじゃないか。(挨拶)


 ずっと晴れ。気温もそれなりに上がったが、しかし非常に乾いた空気で、暑くはない。
 人間の捉えている現実とは、五感をもって認識したものである。そして感覚とは、感知した光という電磁波や空気の振動、摂取したある種の化学成分、あるいは何らかの物体に接触したときの圧力、それらを情報化し、電気信号に変換したものを、脳が解析したものだ。
 つまり肉体に備わった機構に依存し、感覚として取り込んだ時点で、全ての情報は分析処理されたものであり、けして、本来あったものとは同一ではない。人体が、それはそういうものだ、と勝手に認識しているだけで、真実はそうではない。


 これは万人の感覚に、少なからず差(違い)があることからも明らかだ。もっとも、差がある、と感じるのには、実際に差があるという事実の他に、また別の問題が横たわっているからでもあるのだが…。